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訃報

 
 
 ⑰ 田邊宏次様(1961年卒)の訃報

  竜の子会 会員 田邊宏次様(1961年卒:昭和36年卒)の訃報がわかりました。
 ここに、謹んでお知らせします。

  氏 名 : 田邊宏次様
  享 年 : 85
  卒 業 : 1961年 大阪工業大学 機械工学科卒(増尾研究室)
  日 時 : 2021(令和3)12月にご逝去
  死 因 :(詳細不明)

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 【追悼文】
 
 2021年1213日に、ご令室の田邊紀久子様から、喪中のお葉書を頂きました。
 竜の子会発足前のご卒業で、増尾先生とは親交が深く、増尾先生のご葬儀の骨拾い儀式に、
 ご参列下さいました。住宅メーカーの大和ハウスにお勤めでした。
  ありし日の笑顔が目に浮かび悲しみに堪えません。謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福を
 お祈り致します。

 なお、機械工学科開設50周年記念誌 48頁に、「工業大学に学んで:昭和36年卒 田邊 宏次」
 で、ご執筆を頂いています。添付参照。

                                    合掌
                         (文責:前田親良2021.12.14.




 ⑯ 渡辺幸広様(1972年卒)の訃報

  竜の子会 会員 渡辺幸広様(1972年卒:昭和47年卒)の訃報がわかりました。
 ここに、謹んでお知らせします。

  氏 名 : 渡辺幸広様
  享 年 : 53
  卒 業 : 1972年 大阪工業大学 機械工学科卒(増尾研究室)
  日 時 : 2001(平成13)12月にご逝去
  死 因 : 病死(詳細不明)

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   【追悼文】

  2016年の竜の子会総会に参加下さった、お兄さんの渡辺明宏様(M科1969年卆)が、
 この20211月に、75才でご逝去され、ご事情を伺っている内に、弟の幸広様も、ご逝去
 されていたことが解りました。

  ご逝去になられてから、年月も経っていますが、渡辺幸広様のありし日のお姿を偲び、
 心よりご冥福をお祈り致します。寂しい限りです。

   渡辺幸広様は、守口市の㈱明立精機にお勤めであったと記憶しています。
                                                合掌
                                 [前田親良 2021.11.22.]


 


北本舜輝様(1967年卒:昭和42年卒)の訃報

 竜の子会 会員 北本舜輝様(1967年卒:昭和42年卒)が永眠されました。
 ここに、謹んでお知らせします。

  氏 名 : 北本舜輝様
  享 年 : 76歳(推定)

  卒 業 : 1967 大阪工業大学 機械工学科卒(増尾研究室)

  日 時 : 2021(令和3)128日ご逝去

  死 因 : 病死(詳細不明)
  葬 儀 :
通 夜:131日(日)17時〜
      告別式:2  1日(月)13時〜
       セレモニーホール馬車屋
        住所 340-0217 埼玉県久喜市八甫2789
        電話 0480-59-5941


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  【追悼文】
  2021年1月30日に、ご令室の北本萬喜子様から、お電話でお知らせがありました。
 ご病気で急なことのようで、ご葬儀は、コロナ禍のことで家族葬でとのことでした。
 はかりの会社で、著名な研精工業株式会社 社長 の地位も勤められ、ご趣味は、絵画
 で、その作品は、竜の子会HPにも、数回、ご投稿下さいました。
 
ありし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り致します。寂しい限りです。 
                                合掌
                    
                           [前田親良 2021.1.30.]


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 追悼の辞
                                  
蔵敷重壽

  北本舜輝様の訃報に際し、ここに深く哀悼の言葉を捧げます。
 北本様とは増尾研究室で卒業研究をご一緒させていただき、2人とも工業高校
 卒業生でしたので、研究もとても円滑に進めることができ、それ以来親しくお
 付き合いをさせて頂きました。
  関東にお住まいのため、なかなかお会いする機会がありませんでしたが、趣味
 の絵画でお元気にお過ごしのことと存じておりましたのに、突然の訃報に接し、
 残念でなりません。
  私にとりまして北本様との直接のお付き合いは、濃厚な1年間でお互いに忌憚
 のない意見交換をし、親しくお付き合いをさせていただきました。
  いまでも目を閉じれば、北本様のはにかんだ笑顔が瞼に浮かびます。
 どうか安らかにお眠りください。
                                合掌



北本舜輝様
北本舜輝様の作品
上の写真をクリックして頂くと、2019年9月の掲載ページに移動します。

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 北本舜輝様の訃報が日本計量新報に掲載され、添付のように業績や表彰・受賞がわかりました。
 
 
                 北本舜輝様の業績:

 計量計測機器製造会社[研精工業株式会社]の社長として、また茨城県計量協会の副会長、
 理事としても活躍され、計量業界に多大の貢献をされました。
 2002年 茨城県計量協会長表彰、2012年 日本計量振興協会会長表彰を受賞されました。



   
 

清本英男様(S36年学部卒)の訃報

竜の子会メンバーの清本英男様(S36年学部卒)が、お亡くなりになりましたので、謹んで
お知らせ致します。

清本英男様は、竜の子会の設立に多大の貢献をされ、地元、宮崎県では、延岡市の商工会議所会頭
も務められ、そのご功績で、
2017年秋に叙勲受章され、旭日小授章の授章に輝かれました。

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*  清本様は、昭和13121日生まれ。昭和60年に延岡市商工会議所の議員となり、平成3年に副会頭、平成67月に第12代会頭に就任した。
以来、
825年間の長きにわたって会頭を務めてきた。その間、東九州
自動車道および九州中央自動車道の整備促進、九州保健福祉大学の誘致
と開学、ホテルメリディアン延岡(現・エンシティホテル延岡)の設立
、延岡駅周辺整備と中心市街地活性化の推進などに尽力してきた。

 写真は、会頭退任時のものです。

 
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学園の城北倶楽部の会員としても、学園に対し多大の貢献をされました。

 氏  清本英男様

 享  81歳

 卒  S36年(1961年) 大阪工業大学 機械工学科 卒(計測研究室)

 死亡日 2020年6月10日(水)

 死  肺炎

 勤務先 宮崎県延岡市土々呂6丁目1633番地

      清本鐵工株式会社 代表取締役会長

 

写真は、宮崎県延岡市への訪問(2018527日撮影)時の写真です。

お元気だった日を想い出し、心よりご冥福をお祈り致します。

                                      合掌

                           文責:前田親良2020109日記


 清本鐵工株式会社の福島秀幸様より、清本英男様の終末の状況の詳しいお知らせ頂きました。
ここに、それを掲載して、ご冥福をお祈り致します。
                                文責:前田親良記


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 清本は、201810月に人間ドックにて検査した際、肺に異常が 見つかり、宮崎大学病院で
抗がん剤治療を受けながら、商工会議所
会頭・弊社の会長として、その職務を全うしてきました。
当然ながら、毎週ゴルフは欠かしませんでした。
昨年10月に会頭を退任してからは、スケジュールにも余裕ができ治療を受けながら、毎日楽しく過ごしていました。
しかしながら、昨年暮れから体調も思わしくない中、418に最後のゴルフをして424日に
入院致しました。

本人の希望もあり63日に自宅に帰り、610日に帰らぬ人になりました。

 これまで、たくさんの方々と交遊があり、地元延岡への愛着は人一倍強いものがあり、また延岡
のために多くの汗を流した人でした。

 長い間お仕えしてきた私にとっても、急な旅立ちとしか思えなく早すぎる感がしました。
前田先生ご来延時も楽しみにしていましたので、残念でなりません。
永い間お心に掛けていただき、本当に有難うございました。

                  清本鐵工株式会社 福島秀幸 12. Oct. 2020.


 


生駒純一先生(1976年卒)の訃報

竜の子会会員 生駒純一様が、2019年9月17日に逝去されました。
生駒様は、1976年に学部、大学院をご卒業後、都島工業高校にご勤務され、また機械工学科同窓会
役員としてもご活躍されました。
ここに、謹んでお知らせいたします。


         生駒純一君(元都島工業高校教員)のご逝去を悼む  

元機械工学科教授 三船 忠志  

竜の子会の皆様、益々ご清祥のことと存じます。
私も
81歳になり相変わらず元気にやっています。

さて、既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、917日に竜の子会会員の生駒純一君
(
元都島工業高校教員)がご逝去されました。皆様方と共に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

生駒君は兵庫県の工業高校から昭和47年に大阪工業大学機械工学科に入学され、学部に4年、
大学院に
2年在籍されました。学部の卒業研究と大学院は増尾研究室に所属され、専攻は構造力学
でしたので、担当は主として私になりました。


 彼は真面目で非常に研究熱心で、学会発表も安心して見ることが出来ました。一方彼は教員免許
を取得しており、依頼されれば短期の非常勤講師も務められました。しかし卒業時は就職氷河期で
、彼自身決して希望する就職は叶わなかったように思います。その後教員試験に合格して大阪市の
高校教員として
40年余り務められ、機械工学科の同窓会にもご尽力下さいました。これから悠々
自適の生活が待って居るのに、あまりに早いお別れは誠に残念でなりません。
どうか安らかにお休み下さい。
                                          合掌

2016年のホームカミングデー懇親会にて

前列左から、三船忠志先生、前田親良先生、生駒純一先生(都島工高)

 
機械工学科同窓会の常任幹事である生駒純一先生の訃報を受けまして、お悔やみの手紙と香典
「機械工学科卒業生一同」をお届けし、弔意をお伝え致しました。

                        機械工学科同窓会 会長 池田隆治 (記)





阿部博司先生の訃報

   大阪工業大学機械工学科同窓会
   http://www.oit.ac.jp/med/~homecoming/info2/info_abe.html





吉岡秀幸様(1964年卒)の訃報

今回の名簿調査で、1964年卒榎谷勝彦様から、彼(吉岡秀幸様)とはもう20年以上も会って
いなくて、3年前の年賀状に対して、奥様から平成25年4月に死去したとのご返信で知ったわ
けです。とのお知らせがありました。
  
吉岡秀幸様のご冥福をお祈りして、このことをお知らせし、詳細をご存じの方がおられたら、
お知らせ下さい。

(2018.6.15. 文責:前田親良)





山野博司様(1973年卒)の訃報

毎年、山野さんとは、年賀状のやり取りをしていましたが、

本日山野さんの奥様より、寒中見舞いで、山野さんが亡くなられたことの連絡がありました。

「亡き主人とのご縁を心より感謝しております。また、思い出して下さることがありましたら

主人も喜ぶと思います」との記載がありました。

過日、田制さん、鳥居さん、岩永さん、池田さん、藤本さんと会って、山野さんとは、会っていない

などの話をしたばかりでした。

皆様のところににも、連絡が来ているかもしれませんが、一応連絡させていただきます。

みんなで、山野さんのご冥福をお祈りしたいと思います

2018年1月11日

早崎善久(1973年卒)

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早崎善久様
      /前田親良@常翔学園です。

山野博司君の訃報には、驚きです。
メールアドレスのお知らせが無かったので、消息を心配していたところです。
心よりご冥福をお祈り致します。

竜の子会HPには、訃報欄がございますから、わかる範囲で、訃報欄への原稿投稿をお願いします。
竜の子会役員の田制正俊様と連絡をとって下さい。

若くして亡くなられる知らせは、悲しく寂しい限りです。

健康には、くれぐれもお気をつけ下さい。

草々





■⑨竜の子会名誉会長 鎮静義明様の訃報

 竜の子会 名誉会長 鎮静義明様(1956年卒:昭和31年卒)が逝去されました。 
ここに、謹んでお知らせいたします。

   氏 名 : 鎮静義明 様
   享 年 : 86歳
   卒 業 : 1956年 大阪工業大学 機械工学科卒(増尾研究室)
   日 時 : 2017(平成29)年12月21日ご逝去

 通夜式:2017年12月22日19:00~
 告別式:2017年12月23日11:00~
 式  場:ベルコシティホール名谷(神戸市須磨区)

 【訃報のお知らせ】

 2017年12月22日に、故人のご子息、鎮静俊哉様(竜孫会会長)より『父、鎮静義明、かねて病気療養中のところ、昨日早朝永眠いたしました。ここに生前のご交誼を深謝し、別添に告別式、通夜の日時、会場地図等詳細をご通知申し上げます。』との訃報メールを頂き、大変驚きました。

 鎮静義明様は、2014年の下呂温泉での竜の子会総会に参加され、大先輩として、お元気に振舞っておられました。心よりご冥福をお祈り致します。

 通夜式には、'56年卒の宮本悦郎様、機械工学科同窓会長古川清様、'72年卒小松賢治様、'73年卒藤本隆様が参列され、告別式には、'56年卒の吉田 明 様、川村孝二様と、私(前田親良)が列席しました。告別式の様子は添付の写真をご覧ください。

 竜の子会としては、蔵敷重壽会長に、竜の子会一同で弔電を打電して頂き、ご冥福をお祈りいたしました。

 後刻、'56年卒の吉田 明 様、川村孝二様、宮本悦郎様がご相談頂き、追悼文をHPに掲載して頂く予定です。また、竜の子会名誉会長の偲ぶ会は、ご遺族のご意向も伺った上で、次期の下呂温泉での竜の子会で開催することを検討しています。詳細はHPでお知らせします。

 合掌  [前田親良 2017.12.24.記]
故 鎮西義明様 2014年竜の子会総会で
会長として挨拶されました

 【追悼文】

 
1956(昭和31)年卒:川村孝二、宮本悦郎、吉田明(順不同)  2017.12.30

 鎮静義明様とは、学生時代からの同期生で、増尾研究室での卒研を絆とする友人関係にありま
した。また、鎮静義明様は、故増尾竜一先生、前田親良先生とも親しい間柄を大
事に対応された
方でありました。この、竜の子会発足
1962(昭和37)年当時から2016(平成26)年に新会長蔵敷重壽様
1967(昭和42)年卒が就任されるまでの永年の会長の務めを立派に果たしてこられました。
あの、神戸淡路大震災が発生した以後は、特定非営利活動法人 健康まちづくり推進協会の理事長として活動されており、内閣府、文部科学省、復興庁、全国被災地の自治体、教育委員会等の連携・支援を受け、全国学生防災書道展の開催・表彰に尽力されました.
 今年の第8回の書道展も例年通り滞りなく順調に大役を果たされました.
 今年は、お便りによりますれば、介護保健施設から自宅までを車椅子ごとの迎えに来てもらい リハビリ治療に通っているとのことでありました。並なみならぬご家族の方々の内助の功を垣間
見る想
いであります。心よりのご冥福をお祈りいたします。

 合掌






■⑧大西 博之 様の訃報

 竜の子会 会員 大西 博之 様(1956年卒:昭和31年卒)が永眠されました。
 ここに、謹んでお知らせいたします。

  氏 名 : 大西 博之 様
  享 年 : 83歳(推定)
  卒 業 : 1956年 大阪工業大学 機械工学科卒(増尾研究室)
  日 時 : 2016(平成28)年ご逝去 (詳細不明)
  死 因 : 不明

  【追悼文】
   2017年1月に、吹田市ご在住のお嬢様の鈴木 薫 様から、
 寒中見舞いのお葉書を頂き、昨年 父 大西 博之(恵那市)が他界しました との
 ご連絡を頂き大変驚きました。
  大西 博之様は、一昨年(2015年)までは、下呂温泉での竜の子会総会にも参加され、
 大先輩として、お元気に振舞っておられました。
  心よりご冥福をお祈り致します。 
  合掌

    [前田親良 2017.1.30.記]





■ 大田了介先生の訃報

   大阪工業大学機械工学科同窓会
   http://www.oit.ac.jp/med/~homecoming/info2/info_oota.html




       

           (以下は竜の子会旧ホームページVer.1より転記)


■⑦大森 実 様の訃報

竜の子会 会員 大森 実 様(1973年卒:昭和48年卒)が58歳の若さで永眠されました。
ここに、謹んでお知らせいたします。

氏 名 : 大森 実 様
享 年 : 58歳
卒 業 : 1973年 大阪工業大学 機械工学科卒(計測研究室)
日 時 : 2009(平成21)年2月13日ご逝去
死 因 : 不明

【追悼文】[1973年卒 早崎善久 2012.10.7.記]
 平成 21年12月に、息子さんの大森浩平様から喪中のお葉書を頂き、2月に亡くなられた事を知り大変驚きました。
卒業以来、 チャンスに恵まれず、一度も会うことができず、年賀状のやりとりだけになっていました。
思い出すのは、加藤久夫先輩、山崎先輩(?)の発表の手伝いで、北海道に行った時の事です。発表後10日ほど2人で道南を旅行しました。旅行の プランは大森君が立てて、私は非常に楽をさせてもらった記憶が鮮明に残っています。その中でも、一番の思い出は、夜11時40分札幌発、朝6時函 館着の急行列車で、夜のふけるのも忘れ、色んな事を話した事が昨日のように思い出されます。
 特に、就職について、大森君は、大企業の中の歯車ではなく、中小企業で自分の力を発揮できる会社を選んだ事を誇らしげに話していたことです。
 還暦を前に若くして亡くなられた大森実君のご冥福を心よりお祈り致します。
合掌



■⑥安冨友晴様の訃報

Mの会 会員 安冨友晴様(1994年卒:平成6年卒)が41歳の若さで永眠されました。
ここに、謹んでお知らせいたします。

氏 名 : 安冨友晴様
享 年 : 41歳
卒 業 : 1994年 大阪工業大学 機械工学科卒(計測研究室)
日 時 : 2011年8月14日(日)逝去
死 因 : くも膜下出血の為

お墓は、八幡市円福寺霊園にあり、2012年1月15日に友人有志でお墓参りを致しました。
謹んでご冥福をお祈りします。
【追悼文】(1994年卒業 末廣 健作記)
月日の流れは本当に早く、安冨君の御逝去から一年が過ぎました。
昨年末に誠に悲しい通知をいただき、今年初めに、有志一同でお墓詣りさせていただきましたが、未だ嘘であって欲しいと思う次第です。
昨年4月のMの会でお会いした時は、まさかこのような別れが訪れるとは微塵も思っていませんでしたので、このあまりにも突然の出来事は、私たちに大きな衝撃を与えました。
安冨君といえば、『笑顔』というくらい、常に満面に笑みを湛える気さくな人柄と、見守っているような柔和なまなざしで、接する全ての人に親しみと信頼感を与えていたように思います。
また、仕事の方でも更なる活躍が期待されていたと思います。そう思うと非常に残念でなりません。
私たちは、皆それぞれ道は違うと思いますが、安冨君が果しえなかった多くの可能性を果していくことを約束したいと思います。
ここに無念にも若くして逝かれた安冨君の御冥福を心よりお祈りし、追悼文とさせていただきます。
合掌                                         2012年8月14日



■⑤永尾一彦様の訃報

 竜の子会 会員 永尾一彦様(1962年卒:昭和37年卒)がお亡くなりになりましたので、
謹んでお知らせいたします。

 氏 名 : 永尾一彦様
 享 年 : 74歳
 卒 業 : 1962年 大阪工業大学 機械工学科卒(増尾研究室)
 日 時 : 2010年9月23日(木)逝去
 死 因 : 間質性肺炎の為
下記にて通夜、告別式が行われました。
 通 夜 : 2010年9月24日(金) 19:00~
 告別式:      9月25日(土) 13:00~
 場 所: シティーホール尼崎
謹んでご冥福をお祈りします。

追悼文】  (1962年 M科増尾研究室卒 渡辺 理一記)
9月25日朝、突然の訃報でした。
奥様からFaxが入り、告別式には参列でき、ご冥福を祈る事ができました。
式場は、ご近所の方々のご出席が多く、弔辞の中身からは彼がいかに自治会のお世話を熱心にされ、皆さんに感謝され、敬愛されておられたが良く分りました。
卒業以来、お互いが忙しく、年賀状のやり取りに終始していました。
共にリタイアし、時間が出来た頃に、同期会の提案が出てきました。
前田先生にお願いして、「竜の子会」メンバーから、同期の名簿をお借りして、2005年下呂の「竜の子会例会」と組み合わせて、2泊3日の同期会を企画し案内しました。
下呂へは、永尾さんを含む同期7名の参加でしたが、学生時代に戻りおおいに 旧交を温めました。
その後、2008年も2泊3日を企画、下呂の例会と合わせて奥美濃の旅を楽しみました。
2010年1月、大阪センターで同期新年会を開催した時、体調不良で不参加でした。
その後、特に気にもせず、お尋ねもしなかった事が悔やまれます。
楽しい想い出をありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。     
合掌



■④吉田直弘様の訃報

M の会 会員1995年卒 吉田直弘様が、2009年12月6日(日)に逝去されました。
ここに、謹んでお知らせいたします。

勤務先:川村義肢(株)[大東市]     TEL:072-875-8022

亡 吉田直弘様(バドちゃん)は、2008年のMの会総会では元気な姿だったのですが、胃がんにおかされていたそうです。
葬儀は、下記にて執り行われ、連絡が入ったのが12月6日15時だったため、皆さんに連絡することが出来ず、谷口さんと高辻さんがお通夜に参列されました。

葬儀日時:2009年12月6日(日)18時   通夜7日(月)14時  
葬 儀 場:大阪北玉泉院

「追悼文」【高辻昌宏(1997年院修了)記】
吉田直弘君は、大学入学と同時にバドミントン部に入部されたこともあり、仲間から 「バドちゃん」と呼ばれ、みんなから親しまれていました。いつも真面目で計測研で の研究も熱心であった吉田君ですが、2009年12月6日に亡くなられました。
2008年夏のMの会総会にも参加され、皆で学生時代の懐かしい話をして、元気な姿を見せてくれていただけに、突然のことで残念でなりません。お通夜では、数多くのバドミントンの友人が来られており、吉田君の人望豊かな人柄が感じられました。
ここに、謹んで吉田直弘君のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

「追悼文 2」【高橋淳一(1995年卒)記】
吉田君の思い出:「とにかく人に好かれる人」という印象が強いです。
研究室で取りとめも無いことを話していたのが昨日のことのようです。
Mの会で再会しても、時間の流れを気にせずに話もできました。
本当に残念で仕方がありません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌



■③楠本 功 様の訃報

竜の子会 会員 楠本 功 様(1961年卒:昭和36年卒)が、2008年8月18日(享年69歳)に亡くなられ、
下記にて通夜、告別式が行われました。
通  夜  8月20日(水) 19:00~
告別式  8月21日(木) 11:00~
場  所  箕面市立聖苑(市立火葬場)
謹んでご冥福をお祈りします。

【 楠本功君を偲んで 】
君の訃報の知らせを聞いて驚くと共に、先ず私の脳裏を過ぎったのは奥様の悲しみ、落胆、絶望感が如何に大きかったか。
でも君は充実した人生を十分生きられ卒業されたのです。同じ世代に生きる者として断腸の思いです。
7月に(竜の子会)の参加について君の自宅に電話したときに、奥様から手術し入院しているが今月(7月末)に退院の予定とお聞きしたのに重ね重ね残念な気持ちです。
4年前の(竜の子会)に大住君(富山県在住)と参加し酒を酌み交わし、語り合ったのが良い思い出になりました。
帰りの名古屋までの車中で70歳近くまで生きてきての、思い出や反省、将来への展望など語り合いましたね。
在職中(ダイハツ工業㈱製造部技術室 室長)は、車両の検査や安全管理のオ-ソリティとしてまた退職後は自動車教習所の講師として活躍され社会のために十分尽くされました。敬意の念で一杯です。 ご冥福をお祈りいたします。

田邊 宏次(1961年卒:昭和36年卒)



■②加藤久夫さんの訃報

竜の子会メンバーの加藤久夫さん(S48年大学院卒)がお亡くなりになりましたので、
謹んでお知らせ致します。
(加藤さんと同じ伏見工業高校勤務の友人から連絡があり、葬儀には私(田制正俊)が参列しました。)

 氏 名 : 加藤久夫様
 享 年 : 59歳
 卒 業 : S48年 大阪工業大学 大学院 卒(計測研究室)
 日 時 : 2007年6月13日(水)
 死 因 : 突然死?(前日まで元気に勤務しておられたとのこと)
これからますます暑い日々が続きますが、くれぐれも御身お大切になさいますよう お願い申し上げます。
合掌

田制正俊(Masatoshi Tasei)記



■①木村雅昭様の訃報

Mの会 会員 木村雅昭君(1997年卒)が2月17日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします。
木村雅昭君の悲報に寄せて
 木村雅昭君は、1997年に大阪工業大学を卒業され、㈱ユーシン精機製造本部製造二課で、元気に勤務されておられることと思っていただけに、突然の悲報を伺い、信じられない思いにただ呆然とするばかりです。
 機械工学科 在学中の卒業研究を指導した者として、彼の優しい、ヒョウキンな人柄が思い出され、もうお目にかかることができなくなってしまったとは、私並びに同級生にとりましても誠に悲しく残念で なりません。
 大切な方を亡くされたご家族のお悲しみいかばかりか、ご心痛をお察しいたします。
 ここに、謹んで木村雅昭君のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

学校法人 大阪工大摂南大学  前田親良



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